Challenging Mother Nature: The 2016 Race To Alaska

母なる自然への挑戦:Race To Alaska 2016

2015年、マサチューセッツ州ボストンのボートチーム『FreeBurd』の一員であるトリップ・バードと彼の弟であるクリスは、『Waterlust』と共に、初開催を迎えるレース「Race To Alaska」に挑戦することを決めました。


(以下、著:トリップ・バード)
ワシントン州とアラスカ州をまたぐ750マイルもの海上を人力の船で競争する「Race To Alaska(通称:R2AK)」は、いわゆるボート・ショーでもなければ地元のヨットクラブが開催するようなボート競技でもない。このレースはある種、肉体的にも過酷な挑戦を求められる、前例のないチーム制の冒険とも言えるだろう。ルールはたったの2つ。モーターを使わず、誰からのサポートも受けないこと――。


「Race To Alaska」の第1ステージはワシントン州ポート・タウンセンドで始まり、その後ブリティッシュコロンビア州ヴィクトリアへと向かう。そこからセーラーは第2ステージの準備をするのだが、2つの主要な中間地点(セイモア・ナローとベラ・ベラ)を通過しなければならない。そしてレースは、アラスカ州ケチカンで終わりを迎える。
(Google MapsとR2AKのサイトより)

写真は『Waterlust』より

昨年、クリスと僕は『FreeBurd』として、「ARC-22」というレースで第4位に入賞した。15年物のカタマラン(双胴船)を自分たちで修復し、新たに塗装し直したんだ。昨年の成果を受けて、僕たちはすぐに2回目の走行計画を立てたけど、「R2AK」の規定ではそのままの状態では使えないらしかった。
2016年の「R2AK」で航海しようとしていた、73フィートのトライマラン(三胴船)

事前に知ってはいたが、「R2AK」は普通のセーリング・イベントじゃない。もちろんチームもそれを受け入れていたつもりだ。でも、数ヶ月という準備期間は決して充分ではなく、3月の沿岸レースで受けたダメージの修復を優先した結果、我々のトレーニングが後回しになってしまっていた。

必要な修理を終えた頃には、ポート・タウンセンドでスタートラインに立つ日まで1週間となく、「R2AK」への挑戦は暗礁に乗り上げた。そんなとき、セーリング・コミュニティの友人からカーボンロケット船『タニーワ』を貸してもらえることになったんだ!

『タニーワ』は大胆なオレンジ色が特徴で、サイズは小さいけれど、うまく仕事をこなしてくれた。

闘争心に再び火がついた我々はゲームに戻り、クルーは無事にポート・タウンセンドへと到着。ツインのミラージュドライブシステムを装備し、やがてテスト航海へと乗り出すと、まるで映画『マッド・マックス』を思わせる船の艦隊と出会った。

ポート・タウンセンドにて巨大な『タニーワ』を降ろすクルー。Sperryの『Nor East』Tシャツを着ている。

「Race To Alaska」の開催前日、伝統的な木製ボートの町として知られるポート・タウンセンドは、海の発明、革新、そしてほんの少しの狂気に満ちたレースのための町へと変貌していった。
『タニーワ』にネットを縛り付けるトリップ

ボートの準備をするエリック。『Flex Deck CVO』のスニーカーがキマっている

出航の準備を終えてまもなく、観客用のボートとヘリコプターが追いかけてきた。僕たちの冒険を記録するために、Sperryから2名の友人がカメラを手に参加するようだ。

僕たちが借りたボートは目新しいもので、噂に違わぬ速さだったが、リード・パックを打ち抜き、サンフアン諸島の南にあるカーブまでは良かったものの、沿岸線から遠く離れた僕たちのペースはたちまち減速した。「R2AK」のために作られた僕たちの装備は、自然の息吹とうまく歩調を合わせることができなかったんだ。


「Race To Alaska」は、優雅な滝の連なりと無限の山脈に囲まれたレース場で、そこに生きる野生生物はとても素晴らしかった。ゆっくりとしたセーリングの間中、僕たちはシャチの大群とすれ違ったりしたんだ。たまにはスローペースで航海するのも悪くないと思ったね。


結局、僕たちは修理のためにヴィクトリア州のキャンプ場へ立ち寄ることになった。
次の区間の始まりが近づくにつれて、風も帆走も最悪な天気になることが予想されていたし、その予想と気象条件を考慮すると、僕たちは80時間にもおよぶ人力の推進力だけで、残り8日間ものレースに挑むということになる……。いや、それでこそすべての物事が一瞬にして変わる、「Race To Alaska」の醍醐味かもしれない。

吹き抜ける風が僕たちに棄権するよう煽るけど、不思議と気分は穏やかだった

今回の船旅は僕と兄弟だけがクルーとして挑んだ去年の『FreeBurd』とは違って、一緒に参加してくれた経験豊かなセイラーたちは大人だったし、家庭もあれば、日々の仕事もある。このレースを続けるために、無理してまでスケジュールを調整してもらうことはできなかった。

母なる自然がすべてを司る。訓練、努力、練習、経験、そして僕たちが冒険に必要なツールを総動員しても、母なる自然に打ち勝つことはできなかった、それだけの話だ。僕たちはアメリカ本土へと引き返し、他のチームを応援することにした。彼らの冒険はまだ始まったばかりだからね!


Sperryのみんなは、僕がまたOdysseyに挑戦する日をいつまでも待っていると言ってくれた。大胆な冒険を選んで伝えるべきストーリーを持ち、信念に沿って学んだ冒険と教訓は、必ずやあなた自身を変えてくれるだろうと僕は思う。


2017年4月3日

ADVENTURES OF THE CREW

クルー達の冒険